生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家一年目~

YAZAWAスピリット

 連投、そしてメモ書き程度の記事ですまぬ。

「俺はいいけどYAZAWAがなんて言うかな?」

 これは矢沢永吉さんの名言。私はさほどYAZAWAファンではない。というか、ファンではない。でもこの台詞はカッコイイと思った。

 勝手な想像だけど、矢沢永吉さんとはいえ、売れていない時代があったはずだ。でも、そんなときでも変わらず「俺はいいけど」メンタルだったんだろうと思う。常にファンの理想であろうとするYAZAWA。かっこよすぎるだろう。

 人ってけっこう心の中がダダ漏れだ。言わんでいいことを言う。特に匿名SNS上なんて酷いもんだ。自分以外はサンドバッグと思ってるのかしらと疑うような人も少なくない。そういう人は「いつも」そうではなく、突然「そう」なる感じがある。そういう人を目にするたびに私は憐れむと同時に「サイコパスか……」とも思う。

 そこで私が「サイコパスどもめ」とか言っちゃうと、心の中がダダ漏れ状態となる。あるいは、そのまま吐露していなくても、悪意や嫌悪が丸出しだったらダダ漏れと同義だ。

 そんな時にYAZAWAを使う。

「私は良いけど、cimacoxはどうかな(どう言うかな)?」

 もちろん、YAZAWAの趣で、である。これはとても大事だ。私の中にYAZAWAを、YAZAWAのスピリットを降臨させなければ意味がない。

 もちろん、ワンクッション置くことでレスポンスは落ちる。しかし、この世の中で即答しなければいけないことなんて、いくつあるだろうか。たぶんそんなにない。っていうか即答しなければ離れてゆく関係性なんて、紙で作ったこよりみたいなもんだ。そんな危ういものにすがるより、私は私の中のYAZAWAスピリットを大切にしたい。

 ダダ漏れであっても、もちろんいいと思う。個人の自由だ。でも、あなたの中のYAZAWAスピリットはどうかな?

***

 なんで突然こんなこと言いだしたのかっていうと、お友達の一人が脳梗塞を起こしまして、右半身麻痺になったんですね。それを聞いてすごくショックだった。今はリハビリも追えて退院しているけど、時々メッセージでやり取りしてるんです。心配っちゅうか、単に趣味が合う友人の一人だから「これ見て、おもしろい!」とかってメッセージ送っちゃうんだよね(昔から)。

 そのメッセージの中で、「現状に感謝しないといけないのに、感謝したいのに、どうせ分からんくせにとか、言うのは簡単だよなって思っちゃう」と言ってたので、「そりゃそうだよ、今までできてたことができないんだもん、人が羨ましいし、腹も立つし、怒りたくもなるよ」って話をしていて、YAZAWAにたどり着いたのです。

 いろんな人がいると思うけど、私は真面目な人が多いと感じているんですよね。真面目に「ポジティブでいなければ」とか、真面目に「いい人でいなければ」とか、真面目に「感謝しなきゃ」と思ってるとか。とにかく真面目に、ネガティブな自分がひょっこり顔を出そうとしたらピコピコハンマーでたたきつぶしてる人が多いなって感じてるんです。

 でも、そうやってたら叩かれてるネガティブな私は怒るよね。なんで本音言わせんのじゃー! 思ったらいかんってなんなんー!! って。

 声に出して「どうせ分からんくせに」って言うのは大人げないと思うのよ、私だって。でも、心の中でそう思ってる自分がいることは、ありなんじゃない? それもNGにしたら、なんのためにそう思う自分がいるんだろう?

 そう思うから、私はYAZAWAスピリット降臨術を編み出したわけです。ネガティブ自分(毒吐き自分)も叩き潰さず、でもダダ漏れにもせず、さらにその次の思いを言葉にすること。

 そうすることで、自分がどう思ったのか、どうしたいと思ってるのか、改めて自分が認識できることもあるなって実感してます。

 ホンマ変な話、言語化することで「ほー、私そう思ってたんだ(そうしたいと思ってるんだ)」ってことに気づくことってあるんだよ。ホンマ、人間って不思議だよね。