つつがなく法事を終え、そして帰路
昨日法事を終え、今日は父とともにお墓参りに行った。お墓といえばやぶ蚊の聖地だが、午前中だし風は強いしで全然刺されることがなかった。そもそも21年目の喫煙者、血液もさぞかし不味いはずなのだが、私はどちらかというと蚊に刺されるタイプである。
ちびっ子たちがいたものの、もうそこそこ大きくなっているので法事の最中に絶叫するような大騒ぎも起こらず、つつがなく、つつがなく法事も終えた。次女妹の法事も何度目だよと思いをはせつつ、心に残っているのはやはり長男だ。
「ねぇ、おばさん。僕は思うんだ。おばさんの咳の原因はたばこじゃないかな。たばこって体に悪いんだよ。どうしてやめられないの?」
今まで、何人もの人に禁煙を勧められてきたが、これほどにストレートな疑問をぶつけられたことがあっただろうか。
「おばさんも、どうしてやめられないのかわからないのよ」
これぐらいしかお返事できませんでしたね。いや、禁煙は人生で2回したことがある。3か月禁煙できたと自分では思っているが、結局戻ってしまったので「禁煙期間」にカウントしていただけない。まぁ、仕方ないですよね。
ちびっ子たちが帰ってから、私の帰省の目的の一つでもあるパソコン仕事をしていた。実家のパソコンの中身はよく知っているが、久しぶりに長男が1歳ぐらいの写真を見た。可愛いなあ、今とあんまり変わってないけど、今も変わらず可愛いなあ(もう小学校5年生だが、なかなか形容詞がかっこいいにならない)と思ってみていたが、こんなチビから「ねぇ、おばさん……」だ。次男、三男が同じことを言う日も近いだろう。気が咎めるなあ。
さて、今日のこの日記も船の中から書いている。海上の電波状況も、気づけばかなり良くなっている。うちの実家はソフトバンクさんの電波が来ないけれど、ちょっと下れば電波は入る。ハイテク化という言葉は死語だろうが、ハイテク化していってるなあと思う。実家もWi-Fi化しているから通信に関しては不便がないし。
前職は休み中に電話をかけてくることがなかったが、前々職のころは実家に帰るとなると「電話がつながらない地域に行きます」と言っていた。でも今ならそれを言わなくていいのだと思う。けれど、もし必要があれば言っちゃうかもな、と思う。自分でもなんだかよくわからないが、「そういうことにしておきたい」のだ。それほど電話も鳴らないし、なるとしてもメッセンジャー系の通話だから通じちゃうから意味がないのだけど、なんとなく「そういうことにしておきたい」のだ。
この気持ちの出どころは、隔離されたい欲かもしれない。そもそも隔離されているところで生まれて育ったという意識が強い。あれだけ嫌だった隔離された島が、今となっては安全な領域として隔離されていてほしい場所になったということだ。だから移住者が幅を利かせると(メディアとかで生意気なことを言ってたりすると)「けっ、島のことなんてわかってないくせに」と思うのだ。いやいや、島を出て20年以上経過している。わかってないのは私の方だよ、というのも分かっているというのにね。変な根性が全く抜けない。
その変な根性をそのままうどん県でも発揮しているから、よほど私は帰属意識が高いのだろうと思う。私の家、私の島、私の町。
人は誰しも、とは言わないが、大なり小なりそういう場所を持っているものだと思う。故郷の人もいれば、青春を過ごした場所の人もいるだろう。うすうす感じているが、社会人一年生を過ごした場所とか、バリバリ仕事に目覚めた場所というのも、青春を過ごしたような気持ちがよみがえるんじゃないかと思う。そういう場所を持っていて、時々戻っては何かをチャージし、同時にリセットする。まったく知らない場所ではなくて、よく知った場所で。
会社と家との往復ばかりという人でも、そういう時間を持つと、少しぐらい自分の人生のこと、積み上げてきた時間の厚みなんかを感じて、明日からも頑張ろうとか、嫌なことがない人生なんてないもんなって思えるんじゃないかと思う。旅とも呼べない程度の、心の帰省。
今回はまさにそんな旅であったけれど、まだ島を出た船の中である。これから道が混んでいる松山市内を通過してうどん県に向かう。まったくもう、松山といい徳島といい、渋滞何とかしてくれよー。今から気が重い。※私はうどん県の道自慢をするけれど、うどん県は横断に関しては道が充実しているが、縦断に関しては残念なところが多いので、ポスティングするときとかけっこう泣きます。道がパーフェクト(混まない、詰まない、わかりやすい)なところはあるんだろうか。