生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家一年目~

村上Radio

 おはようございます。昨晩は春樹のラジオを聞いた人も多いのではないでしょうか。私も聞いてた。

www.tfm.co.jp

 既に放送が終わっているので、ここで聞けます。
radiko.jp

 久しぶりにラジオを聞こうと思ったら、ラジオもラジカセもオーディオ機器すらもないわけで、大慌てしたさ。一週間前にセッティングしたはずなのにね、スマホで聞けないっていうのびっくりしたわ。

 塩鯖はラジオっ子ではなかったそうだけど、私はラジオっ子だった。主に、赤坂泰彦のミリオンナイツ。ヘビーリスナーであった。AM放送はうまく入らなかったので、聞くのはもっぱらFMだった。だからラジオっ子といってもオールナイトニッポンは聞いてない。

 村上Radioは赤坂さんほどのポップなDJではなかったけど、ああ、村上さんはこんな声なんだねえって思った。顔を知っているので逆に、だ。赤坂泰彦さんは声を知っていて顔を知らなかったから、いや地元FM局のみなさんもそうだったから、顔を知ってて声を知らないっていうのは逆なんだよね。

 今は顔も声も、動画を通して簡単に知ることができる。私が「顔見たいなー」と思ってるけどきっと見ることはかなわないだろうという人は、士郎正宗ぐらいじゃないかと思う。あと亡くなってる人ね。録画が残っていればみられるけど、だよね。

(久しぶりにラジオを真剣に聞いた。いつぶりだ? 夏休み子ども科学電話相談 の冬休み版の、バード川上とダイナソー小林のやり取りを再度聞こうと思った時ぐらいかも。あっ、もう今年の夏の終わってる! らじるらじるで聞かなきゃ!)

 ラジオは何かをしながら聞くものだと思っていた。真剣にラジオに向かい合って聞いたことはほぼないと思う。だからつい、ラジオが流れていると何かをしてしまう。洗濯物たたみとか、デスクワークとか(当時の勉強)、料理とか。昔は聞き逃したら二度と聞けなかったけれど、今は聞き逃し放送もやってる。余計に聞き流してしまう。でも、聞き流してもいいかなーぐらいの楽さで聞いてても、大事なことは心に引っかかるんだと思う。それがラジオの不思議。

 昨日は函館からも宝石箱が届いた。

 瞬殺でなくなりかけている。ありがたく残しておいて賞味期限が切れるなんて馬鹿げているけれど、瞬殺というのもアレだ。浅ましい感じ。飢えているわけではありません。北の国から届くものは何でも嬉しい。ありがとう!!

*怒りベースの行動について

 以前の日記で、怒りベースは何も生まないと書いた。けれど、怒るとついつい攻撃的になってしまう。人間ができていないからな、で済ませることも可能だが、自分がなぜそんなに怒るのかにフォーカスを当てると、突発的な行動を避けることができるのだと思う。

 私はルール違反がどうにも許せなくて、その態度が厚かましいと感じられたらさらに怒りがヒートアップする。またもボランティア関係なのだが(ボラしてるといろいろあるね)、うちの活動とは別に団体を持って活動していらっしゃる方がいる。うちは団体とは名乗っていないので、そういう参加者も多い。けれど、その大半が様子見のために入っているようなもので、ポスティングにはまず参加しない。幽霊部員がいることは承知なのでご自由にどうぞ、なのだが、たまーに参加したと思ったらルールぶっちぎりだからカチンとくる。

 こういうとき、私は自分でもびっくりするぐらいの想像力を働かせた悪態が心を渦巻く。ルシファーのささやきかと思う。

 いつからこんなかなーと思い出すと、やはり中学生時代が思い浮かぶ。どんだけ暗黒時代なんだって感じだけど、まぁ事実だから仕方がない。連帯責任に強い不服を持っていたのだ。私は真面目にやってるのに、私はいろんなことを我慢しているのに。あのときも、あのときも、あのときも!! ずっと怒っていたのだ、私は。

 自分だけがなぜか目を付けられて(だいたい叔父さん関係が原因だけど)、あれこれされた時は怒りがこみ上げなかった。なんかもう、しょうがないという感じ。本人にぶつけられない苛立ちをぶつけているんだろうな、ならば逆らっても無駄だな、という悟りに似た全力の逃げ。

 よくよく考えたらこっちの方が怒ってもいい気がする。連帯責任の名のもとに正座させられるより酷い。けれど、なぜかな、あのときは連帯責任の方が不当な気がしていた。

 もっともっとさかのぼると、ババが出てくる。ババは常に機嫌が悪かったので、やることなすこと不服な人なのだ。ええ、最悪は孫が、嫁が、家にいることが不満っていうぐらいね。ババは生まれたときからいる人なので、怖いか怖くないかで言えば、怖くなかった。だからあまりにも理不尽な八つ当たりには怒っていたが、その怒りが真正面から受け止められた経験はなく、変化球でキレてくる。手に負えないというやつだ。だからあまり本人に怒らなくなった。その代わり、完全に無視することにした。

 なかなか最悪の循環が生まれていたんだな、と思う。けれど、それが日常だったし、それ以外のシーンでは犬がいたり、妹がいたり、家族がそろってご飯を食べたりして、幸せに過ごしていた。だから決して不幸ではないし、2,3日ぐらいならあの頃に戻ってもいいとさえ思う。

 私は怒りを出したことが、あまりなかったんだなと思った。怒りを面に出すことが必ずしも受け止めてもらえるものではないと、勝手に思い込んでいたんだと思う。だからひねくれてねじ曲がったルシファーのささやきを呼び込んで、見えないところでムニムニと怒っているのだ。

 上手に伝える方法を身に着けよう。ここまで思い出して、考えて、そう思った。他人の心は分からないんだから、変に妄想で心を疲弊させるのを止めよう。思いが通じないことに癇癪を起すのもやめよう。いろんな人がいて、いろんな考えがあるんだから。冷静に考えれば、塩鯖や家族が分かってくれれば、それでいいんだから。

 別に聖人君子になろうというわけではないんだけどね、なんかすごい大げさになったな。