生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家一年目~

ヒート

ヒート (字幕版)

ヒート (字幕版)

 これ、1996年の作品だってよ。マジか。もちろん、公開時にも見ましたとも。

 改めて見ると、現代版の「俺たちに明日はない」だ。ボニーとクライド、彼らは男女だったけども、あんまり性別は関係ないような気がする。こういう生き方でしか、生きている実感を持てない人はいるということだ。

 生きてることは幸せなんだろうかと時々思う。いや、正確には「生きる意味ってなんだ?」というほうが正しい。ハッピーしか起こらない人生なんてない。だからたくさんの物語が生まれ、哲学が生まれ、芸術が生まれた。

 私はたぶん人生の折り返し地点ぐらいなんだろうけど、ふとね、まだ未経験のことこそたくさんあるけど、感じえるすべての感情は一通り経験したんじゃないかなと思うようになってきた。人ってとっても複雑な生き物なので、複雑な感情も持つものだけど、その複雑さももうかなり味わったんだろうなって。あと味わったことがないとしたら、今まさに私の肉体は死のうとしている(それが自殺であってもピストルを向けられていたとしても、どちらも肉体が死に向かっているということには変わりがない)という実感だけだろうなって思う。幸い丈夫な体なので死にかけたことはあっても「これは本気で命の灯が消えようとしている」と感じたことはないんでね。

 先日ちょこっと書いたハイパーハードボイルドグルメレポートを企画した人も、ギリギリの感覚が生きている実感を持たせてくれると話していた。これはとても危険な兆候なのだけど、だからこそ撮れる映像があって、それを見るからこそ(安穏と暮らしている)私たちは考える。

 こんなことを取り留めもなく考えていたら、洞窟探検家の方が言ってた「恐怖を持つって大事だ」という話を思い出した。ヤバい、あともう少しで俺は死ぬ、っていう恐怖がなければ生きて帰れないって。そうだと思う。死への恐怖が生きる力になる。

 だとしたら、ボニーとクライドは、ニールとハナは、ずっと片道切符だけを握りしめて、どこで自分たちが死ぬのかっていうゲームをしていたようなものだろう。だから彼らのような人間が生き残ってしまったとしたら、残りの人生は燃えカスのような生き方しかできないだろう。生きていればいいこともある、そんなこと誰もが分かっている(心の病になっていなければ)。何の保証もない未来の「いいこと」のために、今自分らしく生きることを放棄するか、それとも、というハードボイルドさ。日本では北野映画ぐらいかなあ。

 クリス役のヴァル・キルマーの男の色気がすごい。かっこよすぎる。典型的なダメンズだろうけど、私はこの人こそ嫁を失っては生きていけないのだから、命だけを助けるなんてかわいそうだと思ってしまった。私なら、子供の可能性に全部をかけて警察に協力しないな。あ、ボニーとクライドになっちゃうね。

 私はまだ、命が惜しい。