年始のご挨拶
昨年は多大なご愛顧をありがとうございました。なんだかんだと続けてきたこのブログ、私の中では確固とした居場所となっています。それもこれも、少数精鋭の読者の皆様のおかげです。
2020年は、当たり前と思っていたことがことごとく覆され、当たり前って何だろうって多くの人が考えた一年だったと思います。2021年はウイルスとの暮らしも板について、それぞれが、それぞれを思いやれる一年となりますように。
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おはようございます。今日から仕事始めです。2日間、みっちりパソコン仕事ができたのでありがたかった。でも、みかんの発注関係は手付かずなので、おいおいやっていこうと思います。おおむね手作業なのだよ……。発注管理とか作ってきたけど、根本的にもっと使いやすいものができると思うんだが、ひらめかないので手が出せない。仕事してたらひらめくかな(むしろ、机上の空論のシステムより、手を動かしている最中に浮かんでくるアイデアの方が使えるものだと思うし)。
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年末に1キロの数の子の皮をむいた。おかげで年末年始に思う存分数の子を食べることができた。それにしても圧巻の量である。
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正月はジョジョを休んで、途中まで見ていた「ID: INVADED イド:インヴェイデッド」をラストまで見た。なかなか複雑、でも簡単。いつか、人の意識の中もこうして他人が入っていくようになるんだろうなと思う。
無意識の領域を舞台にした作品が多いのは、きっとトラウマと呼ばれる無意識の痛みを、人はどうにかして理解したいし、納得したいからだと思う。どうしてこんな目に遭わなければならないのだ! という怒りから来るものかもしれないし、失った生きる気力を取り戻したいためかもしれない。いずれにせよ、そこに明確な理由があることの方が少ないのが現実だ。手っ取り早く「そういうこともあるよね」と、水を飲むように飲み込めれば苦痛は少ないのかもしれない。けれど、損なわれたり失ったりしたものが大切なものであればあるほど、それは叶わない。
絶望して死を選ぶことも、自分を麻痺させていき続けることも、頑張れるだけ頑張って先に進もうと決意することも、すべて平等で並列で、優劣なんてないものだ。だけど私は思う。死を選ぶことが、その出来事を神格化することなんてないと。だから私は生き続けることを選ぶ。悲しい部分はあったけど、ハッピーエンドで良かった。