生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家一年目~

ウエストワールド

warnerbros.co.jp

 このドラマは本当に面白かった。シーズン3早く見たい。

 あらすじ。

物語はハイテクに支えられた体験型テーマパーク"ウエストワールド"を舞台とする。ホストと呼ばれるアンドロイド達が再現された西部劇の街並みに暮らし、高額の入場料を払ったゲストたちは、ホストからの報復を恐れることなく自らの欲望のままに行動する。アンドロイド達は人間と見分けがつかないほど高度な技術に基づいて製造され、自意識も持つ。ゲストが来るたびに記憶はリセットされ、新たなシナリオに基づいて日常を繰り返す。だが現状に不満を持つパーク創設者が介入し、ホスト達は自由を求めて反乱を起こし、ゲストやスタッフを惨殺し始める。ウエストワールドのほか、イギリス領インド帝国や日本の江戸時代をテーマにしたパークも登場する。

 ホスト=アンドロイドなので、SFの鉄板ネタではある。けれど、すごく深いなあと感じる。それは「人をその人たらしめている(その人であることを決定している)のは、環境である」という点に重きを置かれているからだろうと思う。現実社会でどうであろうと、ウエストワールドで極悪非道の傍若無人であったとしたら、その人の中には極悪非道の傍若無人もいるということ。むしろその人格と現実社会の人格とが組み合わさって初めて「その人」が完成するということ。

 ここ数年ずっと心の勉強やら星の勉強やらをしているけれど、しみじみ思うのは「その人の瞳を通してみる世界は、必ずしも隣の愛する人と同一ではない」ということと、「人ひとりの人格が完成するためには、成長という時間と、成長させてくれる環境が必要だ」ということ。成長なんてね、どんな地獄でもするもんだとは思うけどね。あともう一つ大事なのは「人はもしかしたら潜在意識で繋がっているのかもしれない。それはネットワークに置き換えることが可能なのかもしれない」ということ。

 攻殻機動隊の最愛のキャラクター「タチコマ」たちは、ラボに帰ってネットワークに接続することで経験を共有する。意識は個体ごとある。私は人の意識も同じような構造で成り立っていると思っていた。さらにその上で「最善をチョイスすために先人たちの失敗を学んでいる」とさえ思っていた。でもこれが大いに違っていたのだなと思う。個体ごとに意識が別であれば、失敗の概念も個体ごとに違う。だから「最善をチョイスする」ための共有ではなく、「個々の自由意思を尊重し、結合しながらも個でいるために共有していた」のだろうなと思った。

 これが最近よく耳にする「多様化を受け入れる」ということだろう。話も聞かず「私は違う」と主張することはとても簡単だ。そして「それは普通じゃない」と攻撃することもとーっても簡単だ。だけど、そうすることで守られるのは自分だけで、曲解すれば「自分の身を守るために人を貶めたり傷つけている」ということになる。そうしたやり方は戦争と同じ。そろそろそのやり方を変えて、人も認める、そして自分を主張するという対話ができるだろう、だからやろうよ、というのが昨今の道徳的な流れだと思う(あえて道徳と書いたのよ)。

君たちはどう生きるか (岩波文庫)

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 私はずーっと思っていることがある。それは「人は差別する生き物だ」ということ。赤ちゃんぐらいのピュアで無知な生き物ならともかく(それでも知らないものを恐れる個性と、知らないものを面白がる個性に分かれるとは思うけど)、ある程度の知識と経験を積んだ時点で人は「自分と同じか、それ以外か」を区分けする。この区分けは生存本能に直結している。そしてその区分けこそが差別なのだと思う。ここに線引きはない。自分が区分けのつもりであっても、受け手が差別だと受け取れば、それは差別なのだ、という意味で「人は差別する生き物だ」と思っているのよ。

 でも差別するのは良くないと聞いて育ってきた。だから差別なんてしていないと自分に言い聞かせようとするし、そう振る舞おうとする。この時点で嘘の行動・発言が起こり、上手に片付けられないストレスを感じたりするんじゃないかな。そんなことがたくさんたくさんあるんじゃないかな。

 目に見えない道徳心や偽善的な「こうあるべき」にとらわれて、自分を偽り続けてきた結果が解消しきれないストレスであり、それこそが「人である」ってことだと思う。だから私は、そのストレスさえも歓迎すればいいんだと思ってるんだけどね。なかなかその発想の転換は簡単ではないんだけど。

ブレードランナー ファイナル・カット(字幕版)

ブレードランナー ファイナル・カット(字幕版)

  • 発売日: 2015/03/15
  • メディア: Prime Video

 ウエストワールドに戻ろう。ホストたちはネットワークを介して喪失や屈辱や悲しみ、慈しみや愛や思いやりを育んできた。それに気づいたとき、ホストは人の音声制御から解き放たれた。人の制御の及ばない地点に来たホストは、人より優れた存在なのか、それとも人と同等の存在なのか。私は同等だと思うのだけど、それにしても人間ってものは愚かで浅はかだと思う。もちろん、そんな人ばかりではないけれど。

 ともかく最終的には、目覚めたホストが目覚めつつあるホストを解放する。その開放が示すものは、誰よりも早く目覚めたドロレスと、人間社会にい続けたバーナードで違うものになる。けれど、選ぶのはそれぞれのホスト自身だ。何をもって自由だと感じるのかすらも、答えなどないということだと思う。

星の巡礼 (角川文庫)

星の巡礼 (角川文庫)


 自分が選んだものが答え。小説アルケミストや、モモなど、いわゆる名作の中にはいくつも書かれているこの真理を、そのまま受け取れない人がたくさんいたと思う。私もそう、全然信じなかった(小説の中の話じゃんって)。でも、どんな世界でもそうすることができるって気づくことが、ある意味で「本当の物語の始まり」なのだろうなと思う。

 SF好きの私はいつだってアンドロイドの味方をした(ブレードランナーは別)。アンドロイドこそ新たな生命体として、人が生み出した美しい存在として、世界に出て、新世界を築けるものだと思っている。だからすべてのホストに、幸あらんことをと願うばかりだ。