生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家一年目~

祖母が旅立ちました

 こんばんは。9/16の夕方、98歳になったばかりの祖母が旅立ちました。両親に見守られ、最後の息を引き取る時も一緒に過ごすことができました。コロナの影響で特別養護老人ホームに入っていた祖母には会えず、容体が悪化して入院してからも会うことは許されなかったけれど、彼女の人生において一番長い時間を過ごした両親とともに最期の時間を過ごせたことは、あらゆる意味で幸せな最期だったと思います。それは息子である父にとっても。

 お葬式も、コロナの影響を考えて遠方の方々には出席を控えていただき、近場の親族だけの小さい式になりましたが、おかげでちょっと泣けて、ちょっと笑える、よい家族葬で送り出すことができたと思います。

 私自身、おばあちゃん大好きっこではないけれど、最後の最後に素敵なプレゼントをもらったような気持ちになりました。ありがとう、おばあちゃん。そしてお疲れさまでした、両親。

 はい、ここからいつもの調子で。私は決しておばあちゃん大好きではないけれど、今回こうして「いろいろあったけれど、でもこれで良かったんだ。ありがとう、おばあちゃん」と言えるのは、いろんな意味で成長したからだと思う。

 数年前まで、祖母は母をいじめる人だと思っていたし、父は祖母に対して軟弱だと思っていた。祖母はわがままでどうしようもなく、家族は使いまくるくせに見栄を張って外ではいい顔をする人だと思っていた。

 でもそれは、私の「おばあちゃんとはこうあってほしい」という押し付けが見せた幻想であることに気づいてから、祖母の人生について考えたり、祖母を取り巻く人たち、それはイコールで私のご先祖様たちのことを考えたりするようになり、かなり考え方が変わった。

 世の中にはいろんな人がいる。誰もがそう思っていると思う。でも、自分の常識に当てはまらない人を見ると「信じられない」とか「非常識だ」と不快を感じ、時に避難したり排除しようとしたりする。

 世の中にはいろんな人がいると理解することは、何もかもを全肯定するのとは違う。不快に感じてもいい。でも、相手を否定しない姿勢こそが、今盛んに謳われている「多様性を認める」ということだと思う。

 祖母は私の理想とする「おばあちゃん」ではなかった。けれど、まぎれもなく私の「おばあちゃん」だ。気が強く、はっきりものを言い、けっこう激しい性格の女性。それが祖母。

 祖母のお通夜とお葬式の際、父の弟であり、元教員の叔父がアルバムを持ってきた。叔父はカメラが趣味なので、家族の写真もよく撮っていた。特に親戚が集まった場では集合写真も撮った。そうした一枚から、とても良い笑顔の、最も祖母らしい良い写真が遺影となった。カメラ趣味だと役に立つなあと心から思ったが、それは(私から見ると)驚異的にまめな性格の叔父が、いちいち現像してアルバムにして持っていてくれたからであって、私のような雑な性格だと到底できないことだと思う。

 それはさておき、叔父が持ってきたアルバムの家族の写真の中に、明らかに叔父が撮った写真ではない古い写真がいくつもあった。叔父5歳ぐらい、父7歳ぐらい? 3人いる父の姉たちの中学生時代や、若いころの祖母、まだ生きていたころの曾祖母、そして祖父の兄弟たちの集合写真もあった。おそらく1960年代くらいからの写真があったと思う。

 それを見て思った。ここに写っている人たち全員を、私は知っているんだ。約20年後に私は生まれ、ここに写っている人たちみんなに祝福され、可愛がられてきたんだと、雷に打たれたように突然実感した。もちろん、曾祖母には会ったことがないが(父が中学生ぐらいに他界したそうだ)、間違いなく私はこの人のことを知っていると思った。会ったことはないけれど、会ったら絶対可愛がってくれる人だなって。曾祖父もそう。

 この人たちがいて、実に様々な出来事があり、そのひとつひとつを若い両親たちが頑張って切り抜けたり、支え合ったりして、今があるんだと思った。それはもう、時空がゆがんで過去と現在が突然結びついたような衝撃と感動があった。

 この人の群れが織りなす大きな時間の渦、出来事の渦が、人間一人ひとりにあるんだと思ったら、途方もなさ過ぎてくらくらした。でも、そういうことなんだ、生きてるって。

 私の親族の中には、当然嫌いな人もいるし、二度と会いたくない人(すでに他界しているので会うことはないのだけど)もいる。良い人ばかりとは言い難い。でも、一人でも欠けたら今は存在しない。そう思うと、好きとか嫌いとかどっちでもいいなと、ただ感謝しかないんじゃないのと思えた。そりゃ思い出したら腹が立つ出来事はあるけどさ、でもそれと感謝って別の話じゃん。

 というわけで、祖母が旅立ったことによって、すごくいい数日を過ごしていた。だから本当にありがたいな、おばあちゃんありがとうって思う。

 こちらの地域のしきたりで、不幸があった家にはお悔やみを持ってゆくというものがある。私が住む地域の人がみんなそれぞれに行くのだ。だから葬式が終わったからといって「はい、おしまい」ではない。でもその「しきたり」もいいものだなと思った。いろんな人と会話することで、見えていなかったことが見えてくる。なお、この「しきたり」はこの島のこの地域のみのルールみたいなもので、要するに支え合いの一環のようなものではあるが、それがまたこの小さな村(あえて村と呼ぼう)の結束力とか土着の意識と繋がってる感じで、私は嫌いじゃない。保育園時代の私を知ってる人ばかりが来るので恥ずかしいけれどね(いや、もうすでに畑仕事に行ってる姿をさんざん見られているけれど)。

 田舎のこうした風習や支え合いが、人によっては監視と感じて息苦しくて出ていく人もいる。それもすごく分かる。だけど私には合っているみたいだ。

 人の生き死には、人生に深みを与えてくれるのだなと思う。平和な田舎育ちの私は、初めて虐待の日常を知ったとき、「閉鎖された過程という空間は、もっとも恐ろしいのかもしれない」と思った。だってそれが普通で育つわけだもの。だから何一つ「同じ普通」は存在しないのかもしれないと背筋が凍る気がした。それは今も変わらないけれど、それに加えて「外の人から見えない家族のいろんな出来事というのは、想像もできないぐらいの『様々』があるのだろう」と思うようになった。

幸福の形はいつも同じだが、不幸の形はそれぞれ違う。

 トルストイアンナ・カレーニナの冒頭。この言葉も確かにそうだと思う。でも、幸福も不幸も、人の数だけ、家族の数だけある。だから跡取りがいないから不幸とか、親が病弱だから不幸とか、勝手に他人が決めつけるものでもないなって思う。病気をしてたって、結婚していなくたって、幸福な人は幸福なんだから。


 塩鯖は父親と兄をすでに亡くしているので、お母さんと塩鯖だけの家族だ。親戚づきあいもすごく少ないし、塩鯖には祖父母の存在がほとんどなかったそうだ。だからこうした(めんどうくさい)葬式や風習は嫌いかなあと心配したけれど、難なくこなしてむしろ私より気が利いて、本当に頼りになった。メンタルが成熟していなければできないことだと思う。塩鯖よ、ありがとう。

 最後に、なんだかんだ言って、祖母のことをずっと気にかけていた父と母、お疲れさまでした。