生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家一年目~

断絶と未来

 おはようございます。香川県もついに新型コロナウイルスの感染者が出ました。が、検査してないだけで本当はもっとたくさんいるんじゃないかというのが私の周りの見解です。私もそう思います。

 先行きが見えない恐怖や不安は、誰もが持っています。だけどほら、今日はこんなにいい天気で空も綺麗。ことさら、恐怖や不安にフォーカスしなくてもいいんじゃないかと思います。

 なんかねえ、今朝ニュースを見ていて思ったんだよね。あらゆる「無」がコロナウイルスを拡散させてるんじゃないかって。無意識、無自覚、無責任。無知識、無理解、無関心。

 自分は大丈夫、自分には関係ない、自分は罹患したっていい、それはとても無責任なんだよね。自分は良いよ、私だってそう。40代の丈夫な女性、きっと感染しても盛大にしんどい思いをして治るだろうなと思う。だけど私が感染するということは、体の弱い人をさらに危険にさらす可能性が増えるということ。だから気をつけようと思ったんです。

 もともと不要不急の外出をしないタイプなので、日常生活はあまり変わりがないけれど、だからって現状が変わっていないわけではなくて、現状はもう悪化の一途をたどっていると想定して動いた方がいい。多少の備蓄はあったほうがいい(引っ越し前だから増やしたくはないが、引っ越し先はスーパーもコンビニもないところだから、消耗品を備蓄しておいたっていいだろう。幸い引っ越しトラックもでかい)。

 次々に国の出入りが規制されていってる。日本は地続きじゃないからあんまりピンとこないかもしれないけど、鎖国してた頃のような状況に戻りつつあるんじゃないかなって思う。もちろん、鎖国していたころと社会の仕組みは違うわけだから、タイムスリップしたみたいに戻るわけじゃないけど、当たり前だと思っていた選択肢が、選べないことだってあるってことだ。

 でも代わりに、インターネットを使ってオンラインで人が集まるとか、ライブを放送するとか、いやもっとできることが増えるのかもしれないね。一歩一歩着実に進歩してくれていた技術のおかげで、鎖国してた頃の日本ではない日本がここにあるってすごく思う。

 私は田舎至上主義でも昔はよかった主義でもないけれど、自分が生きるために必要なものは、自分でどうにかできるようになっておいた方がいいと思っている。って言うと「田んぼや畑を持っていない人はどうしたらいいんだよ!」っていう人が出てくる(らしいけど、私のような小さな規模だとまず聞かないわ)そうだけど、ないならないで、貨幣経済なのだから貨幣を用意すればいい。もちろん、田んぼや畑を持ってたって貨幣が必要だからちゃんと換金してるもんね。なにも、物々交換だけが残された道じゃない。そもそも、今これだけ経済が揺らいでいるのを見ていたら、崩壊(今までとは違ってくる)可能性だって全然あるわけ。その時、例え田畑を持っていようと貨幣経済の中にいる私たちは平等にショックを受けるんだよ。

 そういうわけで、平等っちゃ平等なんだよ。不安も怖さも、分からなさも平等にみんな抱えてるんだよね。だからこそ、一人ひとりがしっかりしようぜって言いたい。人を攻撃したり迫害したりすることで安心するのをやめようぜって言いたい。

あん

あん

  • 発売日: 2016/03/16
  • メディア: Prime Video

 いつぞや見ていたこの映画。瀬戸芸でハンセン病患者の島に行って思ったことは、この島は整っていて美しい、だけど人の気配がしない。気配を殺して生きてきた人たち、気配を殺さざるを得なかった理由は、私たちにあるんだってこと。

 私たちは何から逃げてきたんだろうね。私たちは彼らに何を押し付けて安心しようとしていたんだろうね。未知の病気? 原因不明の痛み? いや、私は新型コロナウイルスから改めて学んだのは「迫害されること」だと思った。

 病気のことが分からないから、怖いから隔離する。以前はそれも仕方なかったのかもしれない。だけど今は違う。もう、こんな悲しい過去を繰り返さなくてもいい。

 2020年、21世紀になって20年も経ったんだ。同じ轍を踏まぬよう(先人が失敗した同じ失敗を繰り返さぬよう)、私たちはやれるんじゃないかな。