生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家二年目~

今年よく聞いた言葉

 こんばんは。星のブログを書く前に、ここでグダグダしていくのが定番になっています。なんたって、パソコンの前に座らなくなったからね。ははは。夜はこたつで寝転んでぐったりしていることが多いのです。

 というのもね、本当に、本気で、いつだって、この仕事は全力です。たとえ慣れたとしても、たぶん全力じゃないとできないような仕事が農業だと思います。そりゃどんな仕事もそうだろうよと思うでしょう。けれど違うわ。少なくとも私は違うわ。SE時代は120%の日もあれば、60%の日もあった。特に女子日の前後なんてひどい有様だったので、30%ぐらいだったと思う。それでも、出勤することに意味がある時代だったんだよ、ほんの数年前までは。信じられないだろう、2020年を無事に終えようとしている人たちには(んなこたない)。

 本当にね、私出勤するだけで給料の半分は出てると思ってたし、実際そうだった。主にトラブルシューティングと新機能の運用が仕事だったから、いつでも時間内であれば即返答するのが仕事だったんだよ。極論を言えば「安心」と「証拠」を出すのが仕事っちゅうかね。だから「いる」ことが大事だったんだ。まったく、2020年を無事に終えた人たちからすると信じられないよね。家でもできるのに、わざわざ化粧して、コンサバな服を着て、渋滞にはまりながら出勤して、来るか来ないか分からないトラブルのためにスタンバっていながら、暇そうにしないのが仕事だなんてね。

 いや、でも私は前の仕事が好きだったんだよ。体を壊して辞めたけど、好きだったんだよ。本当に。私を成長させてくれた仕事でもあるからね。

 でも、家でできるなら家でやりゃいいじゃんと、100万回は思ったよね。うん、思ったよね。

 そんな仕事ってどんな仕事よって思うでしょう。なんと近々システムを統一するらしいよ。あの当時のSEたちが望んでやまなかった、けれど決して手が届かなかった、夢の「システム統一」。国の鶴の一声でできるなら、さっさとやってろよクソカスボケが(失礼しました)。

 で、2020年がどれだけ人にとって大きなインパクトを与えたのかってことをちょっと考えたんだよね。というのも、占星学的に2020年は200年に一度の節目とも言われていてね、そんなことどうでもいいって? いやいや、運命論(こういう定めだから諦めろ的な理論)じゃなくてさ、本当に、純粋に、天文学的に見てもかなり貴重な時なのよ。

 まず、木星土星が重なるでしょ。公転周期が異なるんだから重なることはとっても珍しいわけ。さらにそこには冥王星という、今は準惑星に格下げされたけど太陽系で最も遠い惑星もいるわけよ。わかる? 木星の公転周期は12年、土星は29年、冥王星に至っては249年なんだからね、超レアなタイミングなわけ。

 これまでの私だったらね、そういう空の超珍しいイベントに出くわしても「へー、ラッキーだったんだなあ」ぐらいにしか思わなかったよ。だけどね、そこに意味があるんじゃないかって思うようになったんだよね。これこそ、さっき否定した運命論だよ。そう、そういう勘違いをしていたから人生路頭に迷ったんですよ、私。

 そうじゃなくてさ、そういうタイミングで生きてるってことに、自分で意味づけしたらどうだろうって考えるようになったんだよね。この激レアな2020年、実際に暮らし方も考え方も変わった人が多いと思う。そんな時代を、たまたま私とあなた、生きてるわけよ。すごくない? 同じ時代に生きてるってだけで、ちょっと友達になりませんか? とか思わない?(友達じゃなくてもいいわ、一言ぐらい「めっちゃレアな一年でしたねえ」って声掛け合うだけでもいいわ)

 そういう意味での「新運命論」みたいなものを、私は推します。勝手に。

 で、タイトルのこと。だいたいラジオを聞きながら仕事をしているので、ラジオでひっきりなしに聞いた気がする言葉を勝手にランキングします。って言ったけど、ランキングにするほども思いつかなかったよ……。

 言いたかったのはね、やたらと「多様性」って聞いたよね、ってこと。日本は多様性を好まない国民性だと思っているのよね、私。だってなんだかんだ言って無言の圧力ってあるじゃん。でもそれが、緩んだのが2020年だったような気がする。

 でも2020年の少し前から、発達障害だのなんだの、とにかく「同じようにできない子」ってたくさん現れてきたと思うんだよね。ありゃ世界に「画一化された人を量産することはできないのが人間なんすよ」って、人間という生物が、未来のために変異を起こさせたんじゃないかと思うんだよね。少々突飛だけどさ。

 それまではね、特に昭和の後半の人たちの学生時代なんて、ハンコみたいに似たような感じだったから。立てって言われたら立つ、座れって言われたら座る、まったく聞き分けの良い子ばっかりよ。多少落ちこぼれもいるけど、落ちこぼれると何が起こるかって、未来が詰むって教わるんだよ。高校に行けないぞー、大学にも行けないぞー、仕事もなくて結婚もできなくて、人生ころんじゃうんだぞーって。で、実際そうなる人もいる、そうならない人もいる。でも、そうなった人を見せて「こうなるんだぞ」って教わってたんだよ。直接的にではなく、暗にね。あらゆる大人やメディアから。

 そんな石器時代のことを持ち出されて持って思うかもしれない。だけどね、ほんの30年ぐらい前の話よ。時代がごろっと変わったなって思うよ、本当に。そして、それ以上の速さで人も変わっていってるなって思うよ。

 だけどずっと変わらなかったものがある。それが多様性を受け入れることだと思う。

 例えば、LGBT問題みたいなものもあるし、人種差別も、いじめもそうだと思う。私自身、いじめってなくならないもんだしなって思ってた。だけど2020年を経験してね、ちょっと間違ってたかもって思ったのよね。変えられないものなんて、ないんじゃないか。私が変えられると思っていないだけなんじゃないかって。

 宮沢賢治の猫の事務所なんて、本当にもう可哀そうなぐらいいじめられる猫が出てくるんだけど、どうにもこうにもならんのだよね。救いがないなあって思ってた。でもそれが世の常ってことだろうなって。だけどね、そうとも限らないんだよ、世界ってところは。

 私とあなた、別の人よね。だからきっと、趣味も好きなものも違うよね。それが当たり前よね。

 鬼滅好き? 私好きじゃない。
 夫婦別姓賛成? 私どっちでもいい。
 政治思想は? 私左寄り。でも日本の共産党は推さないよ。
 スマホは何派? 今はiPhone

 何個一致した? 全部同じ? 全部違った? どっちでもいいんだよ、私とあなた、違う人なんだからさ。違ってて当たり前なんだよ。

 それなのに、違うことを理由に相手を敵だと設定することは、多様性とは真逆の世界に行くことになるんだよね。敵も味方もない、違いがあるだけ、そういう話をすごく聞いた気がする。

 私はね、いじめはなくならないって思ってたし、多数の方が有利だと思ってた。口では何度も「そんなわけないだろう」って言いながらね。でも、やっぱりどこかで「少数派は抹殺される運命か」とも思っていた。これって高河ゆんの「アーシアン」でちはやが言ってたんだよね。もう30年前ぐらいに読んでた本だと思うけど、鮮明に覚えてるなあ。

 自分の中で矛盾があるから(多数の方が強いと思いつつ、少数だって権利はあるはずだと思っている)、そのめんどくささに辟易して、多様性なんてクソだと思ったりもしていたのかもしれない。だって話がまとまらないじゃん。っていうかすぐに話をまとめたくなるのが私の悪いところなんだよね。むずむずしちゃうから早くまとめて終わらせたいのよ(笑)

 そういう、小さな小さな矛盾をはらんでいるのが人間で、いろんな人がいて、いろんな考えがあって、いいんだよ。白黒つけないといけないわけじゃないんだよ。でも、何かを決めなきゃいけないときは、決めたらいいんだよ。それだけのこと。

 敵とか味方とかないんだよね。違いがあるだけ。

 40代で持ち家で車もあって家族もいる。それが本当に「勝ち」なのか? 散々問われてきたことだよね。だけど、40代で定職なしで独り身、やっぱりどこか「可哀そう」ってメディアは映す。そういうの、鵜呑みにしてない? 自分の価値基準でもっと世界を見てもいいんだよ。それが2020年を通過した我々が得たことだと思う。

 もうすぐ2020年が終わるね。なんかさ、刷り込みレベルで細胞に浸透しちゃってるメディアの影響とか、出し切りたいよね。で、完全に自分の価値だけで生きたいよね。そう生きられたら全然変わってくると思わない? と、新月直前に思いましたとさ。これ何とかまとめてあっちに書こう。でも今日は限界、寝ます。おやすみー。