生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家二年目~

香川に帰省してきた

 香川に帰省してきた。今回は2泊3日。主なイベントは通院と墓参り。

香川といったらうどんでしょ

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 今回初めてういった灸まんうどんさんは、昔からあるお店なんだとか。私は初めて行った。

 病院もろもろ済ませたら15時過ぎてしまった。15時なんてほとんどのうどん屋が店じまいしている。そんな中、塩鯖が連れて行ってくれたのだ。うーん、美味しい。うどんに飢えていたのもあるし、実際に味が良いのもある。茹で置きの麵だから茹でたての麺とは違うが、これはこれでとても美味しいものなのだよ。コシもある、うどんの味もいい。最高のうどんでございました。

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 安定の讃州製麵。ここの冷かけが一番美味いね。

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 この日は朝ひんやりしていたので温かいかけをいただく。量が多めなのでおにぎりを取ってしまってやっちまった感。でも美味しいからペロリである。ここの唐辛子はキムチ用を使っているのでピリ辛くくるのよ。

 自称うどん通ほどあてにならないものはないと思う。たまにきてうどん食うぐらいでうどん文化の何が分かるのか。そう思っていたが、私も他県民になっちゃったのでね、ああそれだけが悲しい。

ポリポーリをゲットした

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 基本的にラジオは第一放送を聞いているけど、たまに南海放送を聞く。なぜラジオ第一かって、そりゃアナウンサーのクオリティの問題ですよ。やっぱり民法は、、、なときがあります。はい。

 でも、ローカルネタはやっぱり面白いものもあって、その番組内でポリポーリをプレゼントっていうコーナーがある。これがまたシュールでね……。ポリポーリが気になって気になって仕方なかったんですわ。

 で、石鎚サービスエリアに立ち寄って探した。そしたら下りのSAは規模が小さくて「え、、これ石鎚SAですか?」ってぐらいだって、くそー、上りだったかー!! って思っていたけど、SAのさらに上にあるハイウェイオアシス(でっかいモンベルもある)に行ったらあったのです!!

 で、さっそく実食。美味しいです。かりんとうってなってるけど、甘くないからいくらでも食べられる。伊予美人という里芋を使っているのだそう。食べた感じ、里芋は感じられないけど、普通に美味しいです。鯛味とカレー味ともんじゃ味が楽しみ。

人間関係における空回りループの止め方

 今回の記事のメインはこれよ。今回、香川に行った当日に動物愛護ボランティアでお世話になってるポスティング部の荻田さんところに行ってきた。そこでいろいろ話してて思ったこと。全然愛護と関係ないのよww

 私ね、多分このブログを長らく読んでくださってる方はご存知だと思うけど、人に迷惑をかけたくないがために、人を遠ざけてきたところがあるのよね。率先して関わらない、口出ししない、無用に近づかないことで、迷惑をかけないようにしてるつもりだった。

 なぜそれが「人に迷惑をかけないのか」っていうと、自分がそうされると迷惑だと感じていたから。余計なことされたくないし、ケチつけられたくないし、興味のない話をされるのも嫌いだった。

 協調性もないものだから、みんなと一緒にがとても苦手で、みんなが協力してやってる作業とは別の裏方とか一生懸命やってみたりしてた。うん、それも悪くない、悪くないんだよ。

 だけどね、そうやってたとき一番人から言われたのは「何を考えているのか分からない」だった。たぶんこの言葉の裏には「だからとっつきにくい」「だからなんだか怖い」があると思う。まぁそうだよね、ATフィールド全開だもんね(苦笑)。

 私自身は「別にそれでいいし」と思っていた。けれど同時に「人を気遣っているのに、その気遣いが理解されない」という苛立ちも多少あった。だから「世の人間はバカばっかりだ」と思ったこともあった。今思えばなんて傲慢極まりない*1

 人に迷惑をかけたくない、それは間違いではない。だけどそう思って行動した結果が、これだとどうですかアナタ。なんか全然意味なくないですか。

 こういう空回りをしている人は、私以外にもいると思う。でもこの空回りの止め方が分からない、そんな人もいると思う。今日はそんな人に向けて、その空回りのループから抜けるひとつの方法を書こうと思っている。

 私は本当にこれ、気づくのに時間がかかった。塩鯖が「相手をよく見て、相手が望んでいることを知ろうとすること」だと教えてくれたこともあるけど、ちんぷんかんぷんだった。だって、傲慢さに気づいていないから、分かんないんだよね。「相手が望んでいることを知ろうとする」ことなんて、言ってくれなきゃ分かんないしって思ってたし、相手の望むようにするってことは、自分にとって不本意なこともするってこと!? って逆ギレしそうになることもあった。でも、そういうことじゃないんだよ。

 人の考えてることなんて、分かんなくって当然だ。だからって「何考えてるの?」「どうしてほしいの?」っていちいち聞かなくってもいい(それはむしろウザがられる)。見るべきは、その人がなにをしようとしているのか、だから。ここが「相手をよく見る」ってこと。

 ここで大事なのは、その人がどういう人かをどれだけ知っているかということ。それが初対面の人であっても、外見、所作、言動の様々から「どういう人か」の想定はできるわけで、それが的確にできている人は、相手の望むものを提供することができるのだと思う。実際に、数少ない私の経験からしても、すごい販売員さんはこれができる人だった。

 初対面の人でもこれだけ情報が読み取れるのだから、知ってる人ならなおのこと分かるだろう。その人がどういう人で、なにをしたくて、なにが苦手で、どこがネックになって、今何をすることで喜ばれるのか。

 こう考えて、行動することで、空回りのループから抜けられる。もちろん、余計なことしちゃってたら、いらんことしてたら、逆に手間を取らせたら、そう思ってしまって行動することが怖くなることはある。そんな時は、直接相手に聞けばいい。変に思われるとか、邪魔かもとか、そういう勝手な自分の思い込みは、行動しないための言い訳でしかない。

 本当に誰かの役に立とうと思ったら、誰かを笑顔にしようと思ったら、自分のエゴ(行動しない言い訳)はいくらでも捨てられる。人はそういう生き物だと思う。

今回改めて思ったこと

 一人きりで生きるなら、人間関係やコミュニケーション能力を磨こうなんてしなくてもいいのかもしれない。だけど、大切な人がいたとしたら、その人を助けるためにも、その人を笑顔にするためにも、やったほうがいい。

 だって単純に「あなたのパートナー、とても扱いづらい」と言わせるのは、辛いでしょう。言う方も辛い、聞く方も辛い。そこは相手に大人になれじゃなくて、自分が変わることでよりよい人間関係を構築できるところだと思うから。

 これは別に、人のためにへらへらしてろとか、人の顔色ばかり窺って生きろっていうことじゃない。歩み寄る時間を持つことも、人としての成長になるということ。

 これは人の顔色を窺ってばかりで、いつもいつも自分が犠牲になって、やりたいこともできず、言いたいことも言えず、ただただ人のために動いてばかりで病気になるような人には当てはまらないかもしれない。でも私は思う。そういう人より、私のような人の方が多いんじゃないかって。犠牲になってるつもりになって、周りに我慢させてることだってあるんじゃないかって。

 人って簡単じゃないから、時と場合によって犠牲になってばっかりだったり、自分のエゴを貫きすぎていたりすると思う。そんな状態にも気づくことが大事で、気づいたら居心地のいいバランスになろうとすることが大事なんじゃないかな。

 なにもかもは「バランス」だと思う。揺るぎないひとつの答えの状態になることなんてなくて、答えはいつだってふよふよしていて、その時、その場所で、ベストなバランスをとることができれば、それでいいんじゃないかと思う。

 自分らしさなんて、自分が思う自分らしさを捨てきったところで、絶対に残る部分こそが「自分らしさ」だから、これやったら自分らしくないかもなんてくだらないことにこだわる必要なんて全然ないんだと思う。

*1:この傲慢極まりない態度には理由がある。それは極端にいえば無意識に人を見下していたからだと思う。分からない奴はバカだ、分からない奴は愚かだ、そう思うことで虚勢を張っていたのだと思う。そう思うことで、劣等感まみれの自分を成り立たせていたのだと思う。その行為がとても愚かで幼稚なのだと、後で気づいた