生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

伊予柑畑を更地にして、アメリカセンダン草と戦ってきた

 こんばんは。昨日はへとへともへとへとで、立つのも起き上がるのも億劫なほどだった。その理由はタイトル。伊予柑の畑を更地にしてきたのです。

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 この伊予柑の畑、とっても狭い石垣の隙間みたいなところを上った先にある場所で、この道のりが本当に嫌いだった。畑の全容がわかる写真がなかったので、更地後の写真しかないけれど、全部の伊予柑の木を切ったらすごく広い場所だったんだと思った。

 木を切る方法というのはとても原始的。チェーンソーでばしばし切ってゆくのだ。塩鯖と父がばさばさ切っていったものを、私と母が処分していった。丸一日かかったけれど、逆に言えばたった一日で伊予柑が亡くなったということだ。

 みかん農家にとって、成熟した木を伐採するということは、毎年ここで取れていたお金が来年は取れないということだ。だから簡単にやることではない。けれど、ここの伊予柑の木は古かったし、夏の干ばつで木が狂ってしまっていたので伐採するつもりだったそうだ。

 木が狂うというのは、表年と裏年の差が激しくなってしまうことを言う。もともと柑橘類は表年(実が多くなる年)と、裏年(実が少ない年)があるもので、隔年結果ともいう。これはあまり激しくない方が良い。というのは、収穫量が如実に左右されるからだ。そして、裏年の木は実が少ない分、木に栄養が行き、木が大きくなりやすい。大きすぎる木は手入れ(剪定など)が大変になる。

 ありの~ままの~で、手入れせずに無農薬と謳えるほど無知ではないので、あえて手入れが困難になるようなやり方はしないもの、それがプロ農家だと思う(剪定や摘果で木の調子を戻してゆくことができるらしい。今の私たちはできないけれども)。

 そういうわけで、畑を丸坊主にしていたからへとへとだったのだ。しかも気温高かったし。

 で、今日。今日はアメリカセンダン草を手で引き抜いていた。

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 アメリカセンダン草、名前は知らずともこの植物は見たことがある人が多いだろう。個人的には植物界最強だと思っている。この種が、本当にどこにでもくっつきまくってイライラする。なので今日はカッパと長靴、ゴム手袋で抜いてきた。

 なぜわざわざ手で抜くのか。塩鯖は草刈り機だってチェーンソーだって使えるのに。理由は簡単だ、種が飛び散るからだ。もちろん手で抜いたって飛び散るものは飛び散る。でも機械でやるよりずっと少ない。

 合計でたい肥の袋21個分抜いた。午前中まるまるかかって、なおかつカッパがサウナスーツ状態で、二人とも汗だくになった。

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 実はその仕事の前に、ひめのつきという品種の柑橘の収穫をしていた。ちょうどいい食べごろになっている気が1本だけあったのだ。

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 ご覧の通り黄色い果実だからか、あまり受けが良くないらしく生産量が少ない。ゆえに希少種となっている。ここでも希少種だよ、ほれほれ希少種だよ。希少種っていうのは生産量が少ない作物全体に言える言葉だ。決して高価だからではない。むしろ高価で取引されるならたくさんの人が生産するだろうからどんどん希少じゃなくなってゆくのだよ。

 逆に言うと、生産量が少ないってことは、よっぽど場所を選ぶか、生産が難しいか、人気がないか、いずれにせよ少ないなりの理由がある。ちなみに「ひめのつき」は色と種ありってところが難点らしい。酸味がほとんど感じられない美味しい品種なんだけどね。でもうちで作る品種は、生産者の我々が好きな品種ばかりだ。そういうワガママができるところも、農家のだいご味、面白さだと思う。