生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家二年目~

雨、二日目

 おはようございます。二十日間も放置してた。忙しいのは忙しいけど、忙しいを理由にしてたら、何にもできないままに一生が終わっちゃうんじゃないかと思う。だからってどうしたらいいんだろうねえ。

 農作業の方は、カラマンダリンの収穫を終えつつ、いろいろあったんですよ。苗木ちゃんたちの防除とか、筍茹でとか、モズク採りとか。あと、肥料もやったしカラマンダリンの防除もしたなあ。

 苗木ちゃんたちの防除は、背負いの噴射機でする。というのも、噴射する薬量が少ないし、ホースをずるずるしてたら苗木にぶつかって倒してしまうかもしれないから。しかしながらこの背負いの噴射機、10リットルの薬剤を入れて背負う。ということは、10キロ背負うということである。

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 肥料やたい肥は20キロ袋だし、みかんの収穫カゴ1つはだいたい10キロ入るので、10キロを持つのはけっこう慣れてきた。しかし背負うとなると話は別である。しかも急傾斜の場所が多いうちの畑、下手すると背負ったまま転がる。私が10キロ背負って転がったとしたら、ホースが苗木にぶつかる以上のダメージを与えることになるわけだ。

 だからスクワットはしておいてよかったなと思う(※スクワットは現在お休み中)。

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 苗木の防除の合間に、雑草も引いている。特にこいつらがやっかいなので、見つけたらしらみつぶしに抜いている。というのも、ぐんぐん伸びるし、種子が風に乗って飛んでいくタイプのやつだからだ。

 当たり前だが、草は種が芽吹いて草になる。草を増やさないためには、種を芽吹かせないこと、種を落とさせないことが有効だろう。でも現実無理。無理だよ、あいつらあらゆる手段で拡散しようとするんだから。

 だからとにかく見つけたら抜く。抜ききれないのはある程度育ったら除草剤をかける。それを何年も繰り返して撲滅していくしかない。

 草との闘いは一朝一夕で終わるものではないってことだ。でも、そういう積み重ねと時間を費やす仕事を、この待てない時代にやるからこそ、意味があるんじゃないかなと思った。

「待てない時代」、自分で書いておきながら言い得て妙だな。本当に待てない時代だよね。コロナの対策にしても、もう少し長い目で見てもいいんじゃないかな(自分の欲求も「待てない」から、松山市の繁華街クラスターがなくならないんだと思うわ)。

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 そうそう、防護ネットと電柵も設置した。うちの畑をぐるりと取り囲んでいる畑がやめてしまうので、ぐるりをなにがしかで囲まなければならなくなったのだ。

 みかん畑の多くがそうであると思うのだけど、ちょっと油断すると雑木林に呑まれてしまうような場所にあることが多いので、そもそもが歩きやすくもないし、作業しやすいわけではない。ぶっちゃけると「こういうのは危険だからやめてね」を真面目に守っていては仕事にならぬ、みたいな場所ばっかりだ(特に脚立やハシゴ)。

 でもやらねばならない。というわけで、設置してきた。もちろん力仕事は塩鯖なので、私は楽々な方だけど、それでもこの日は暑かった。もう春を通り越して初夏である。

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 今年は全体的に花が早いようで、すでに伊予柑はこのように満開だ。この雨が終わったら、花に防除をせねばならない。その前に、もう一か所肥料もまかねばならない。やることはたくさんある。たくさんあるけど、どれもやってりゃ終わる仕事である。

 農業はずっと休みなしだ。だけど考えようによってはずっと休みだ。身体は休まらないけど心はハードではない、というか、ハードではなくすることができると思う。そういうところが、いいところのひとつだと思う。