生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家二年目~

念願の雨が降るらしい

 おはようございます。今日はね、念願の雨が降るらしいっす。念願のっていうのはね、私の疲れがピークに達してて、そろそろ丸一日休みたいなあっていう意味での念願ではなく、みかん的に念願です。だってもうしばらく雨が降ってないのよ。

 さて。

 最近の出来事を少し。松山三越に、ゴディバの地域密着店ができた。これは世界初の試み。愛媛の名物といえば柑橘。その柑橘とゴディバがコラボした商品がここだけにあるというもの。

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 松山市にはすでに伊予鉄高島屋ゴディバがある。ここはいわゆる通常のゴディバが買える場所。松山三越ゴディバは一六タルトでお馴染みの一六さんと、ゴディバのコラボ商品、また松山三越ゴディバオリジナルの柑橘を使った商品と、ゴディバのチョコレートが買える場所。イートインコーナーもあるよ。

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 ここでしか味わえないのがこれ、フローズンドリンク。白いからミルクかと思いきや、ホワイトチョコレートなのである。ホワイトチョコレートと柑橘の組み合わせって、実はあんまり多くない。だって黒いチョコレートの方が合うからな。と思っていたのだけども、そこは流石のゴディバ様! とんでもなく美味しい代物だった。もうこのために、はるばる松山三越まで行くと思うわ私。ちなみに奥のフローズンドリンクは妹ちゃんが飲んだ50%カカオのドリンクです。こちらももちろん美味しかった。でもオリジナルの方が絶対美味しい。

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 こちらは一六ゴディバタルト。帰宅して食べたのだけど、なんともまぁ「格が違うタルト」。私ね、タルトは六時屋が一番好きなんですけど、このチョコ度合いといい上品さといい、カステラ部分の美味しさといい、全く別物でダントツだった。

 とはいえ、普段使いでゴディバなんて高級品すぎる。今回は1個ずつの販売だったけど、贈答用のパッケージなりが販売されたら絶対「贈り物」として使うと思う。それぐらい、これはすごくいい、重宝するものになるだろう。

 そのほかの仕事としては、カラマンダリンの枯れ枝を切りつつ、秋芽を切ったりしていた。枯れ枝というのは、葉が茂ると必然的にできるもの。だから終わりがない仕事なのだが、枯れ枝に黒点病という病気がついて、果実に黒い点々をつけるため、理想としては「枯れ枝ゼロ」にした方がいい。あくまで理想だけども。枯れ枝って垢みたいなものだから、無くしても無くしてもできるんだもんよ。

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 そんな仕事の過程で、おそらくメジロと思われる巣を見つけた。葉っぱが混み合ってくると、小さい鳥の住処としては絶好の場所となるのだ。でも、柑橘栽培においては「鳥に巣を作られてはならぬ(そんなに葉を密に茂らせちゃだめ)」なわけで、すまんな。

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 そして毎朝行ってるのが猪罠チェック。うちの罠はうちで面倒を見る。昨日は地域の罠の見回りもあったのでね、朝のスクワットをサボったね。だって出発が6時だもん、早すぎだべ。でも朝早くの海岸沿いで綺麗な朝日を見れたからよし。

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 そしてこちらは土管の設置。もともと細い土管が埋まっていたのだけど、水が大量に溜まるので土管を大きくした。父が掘り起こしてくれていたのだけど、この日の最高気温は30度。塩鯖と共に、全員汗だくで掘って埋めてのお仕事だった。

 土を扱う仕事はどれをとってもしんどいものだが、それでもまぁまだマシだったかな。筋肉痛にはならなかったし。

 この排水設備はセメントで固めたりして補強してます。セメント万能。だけどうちはほぼ手練りだから、練ってた塩鯖は地獄のようだっただろう。ありがとうね。

 さて。最近すごくはてなブログがあって良かったなあと思っている。というのも、ここ以外ではうまく文章が書けないからだ。

 追って整理してゆこう。私は4年前に心理占星学の講座を受講し始めた。生きづらさをなんとかしたいと思った、、んだと思うんだけども、もしかしたら「特別な人になれるかもしれない」と思って受講したのかもしれない。まぁ、とにかく今の自分はダメだなと思って受講し始めた。

 で、3年間はどっぷり講座に浸かっていたら、自分の文章を書けなくなっていた。それに気づいたのが4年目の今年だった。

 自分の文章が書けないということを経験した人がどれぐらいいるだろう。もしかしたら今の時代は多いかもしれない。読まれる文章、売れる文章、共感される文章などなど、文章の書き方の講座やらセミナー、書籍も信じられないぐらいある。

 どうせ書くなら読まれるものを書きたい、そう思う人もいるだろうし、今はオンラインの色々もたくさんあるので、興味を持ってもらう入り口として読まれる文章を書きたいというのもあるだろう。さまざまな動機があると思うが、「読まれる文章」に注力すればするほど、自分の思いや書きたいものが遠のく。私はまさにそれだった。

 ブログを前に、書きたいことが書けない日々。そんな数年を過ごして思ったのは、あんなに楽しかった「書く」という行為が苦痛に変わっているということに、できれば気づかずに(知らないふりをして)いたかった。でも、現実にはあんなに湯水のように溢れ出てきてた思いや考えが、ブログを前にするとまとまらず、実際に記事量も増えていないのだ。認めるほかなかった。

 で、そんな時でも書けたのがはてなブログだ。はてなブログだけは私の聖域だった。ここは自分の好きなことを書くと決めている。そう決めているのがとても良かったのだと思う。「売れよう」とか「読まれよう」とか「共感されよう」とか考えていない。読者数だってほれ! 増えておらん!!笑(いいのだ、本当に、興味がある人が読めばいいと思ってるから)。

「読まれないのになんで書くの?」そう言われて、一時期ははてなブログからも遠ざかった。でも、あそこで手放さなかった自分を褒めよう。

 

 私は私のために書く。それ以上もそれ以下もない。書くのに理由もいらない。だって、好きに理由がいらないように、私は書くのが好きだから。