生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

最近の仕事などいろいろ

こんにちは。今日は雨だったのでゆっくりしています。

先日はワクチンの副反応のことばかり書いたので、今回は仕事のこととその他のことをざくっと。

ええと、2月の終わりで更新が終わってたから、せとかの収穫・出荷と防除、不知火の収穫と苗木の穴掘りっすな。順番に行こう。

まずせとかの収穫と出荷。

今年は近年になく不作年ということもあり、収穫は楽だったけれども物量が少ないので寂しいものだった。農業って複雑ですね。豊作なら豊作で身体がしんどいし、不作なら不作でお金が少ないし。しかし美しく美味しいせとかになってくれたので、みなさんからはとても好評だった。

けれども手放しには喜べなくてな。というのも、でっかいのが多かったのだ。

農協の出荷には規格というものがあって、それは「この程度の傷は1級品としてOKですよ」とか「ここからここまでのサイズしか出荷しちゃいけませんよ」というもの。何かと話題の規格外だけども、うちに関して言えばサイズが足りなくても足りすぎてても「規格外」になることがある。例え傷ひとつついていなくてもね。

実際にでっかいせとかだけを見ていたら「こんなに綺麗なのに」と思うけれど、規格内のサイズと並べると「そりゃ外だわ」って思う。だって、販売するときの箱のサイズもあるわけだからね。今年はでっかいのが多かったから、でっかいの専用箱を作りました、なんてことにはならないのだ。

なので、でっかいせとかは別口で販売しました(産直や欲しい人に販売するなどやり方はいろいろある)。

で、お次は畑整備。ここは3月の終わりに苗木を植える畑。もともとが桃とレモンが植えられていたので、切り株を伐根しているところ。

バーブロックはすごい機材で、楽々とは言わないけれど人力では動かせないものが動かせてしまう。まぁ、この3本脚もまぁまぁ重いんですけどね。

そしてはれひめの剪定。

次に3年目の大苗(実らせたことのない苗木)の移動。

今年もう一息育ってもらう苗木の芽切り。

春の除草剤ツアーに、不知火の収穫(これは両親がやってくれた)。

そして今年植える苗木の穴掘り、と。

けっこういろいろやってましたね。

我々は多品種の栽培をしているので、収穫の時期がリレーのようにやってくるのだけど、でも季節は待ってくれないのでもう次シーズンの仕事は始まっている感じ。これから最終のカラマンダリンの収穫をして、終わった直後には花の防除が待っている。その前に新芽の防除も待っているし、すでに新芽が出る前の防除は済んだ。

なんだかんだと、柑橘農家は年中忙しい。

その他ザクっと。その他って何書くつもりだったっけかな。

そうそう、そろそろ農園名を考えようと思っている。というのも、もともとが農協出荷メインでやってきたので農園名がない。農園っていうか果樹園っていうか、なにが適切なのかしらね。

で、私の名前は島にちなんだ名前なのでファーストネームを入れようと思っている。

でもそれが、字にすると強い。めっちゃ自分推しの人が前に前に出ようとしているようにも見えなくはない。ああ、そういうつもりじゃないんだけどな、って思う。

以前の私なら絶対断る、嫌だで済ませてたと思うけど、いやいやこれはお客さんのためじゃないか? と思い直して(仮)でじわっとSNSの表記を変えていっている。特段の反響はないが、ということは逆に馴染みやすかったということか、と思っている。

こういう名前を付けるのにお金を払ってデザイナーとかなんとかと決めることもあるのだろうが、ぶっちゃけそこまで金をかけたくはないし、なにより個人販売をそこまで頑張るつもりもないので、(仮)がいつかとれるくらいでいいかなと思っている。

私個人としては、この地域のみかんが有名になって売れてくれたらいいなと思っている。それは就農してからずっと変わらない。だから別に私個人が売れなくってもいいんだよね。農協から出発するこの島の柑橘たちが、待ってる人のところにちゃんと届けばそれでいいんだよね。

WBCの準決勝と決勝を見た。野球はあんまり詳しくないが(なにせ世代的には高橋由伸とか松井の時代の人)、本当に心が震えるような、スポーツってすごいなって思えるような、素晴らしい試合だった。

今回のWBCを見て痛感したのは「時代は変わった」ということだろう。選手も監督も、今まで見てきた野球とは全然違うなって思った。だけど完璧に理想的な野球だった。マンガよりもドラマチックな展開で、これ以上はもうないだろうってぐらいに。

改めて、人を信じるってのは簡単なことじゃないなあって思った。私なら村上さん外しちゃう。目先の負けが怖くて耐えられない。でも、それをしなかった栗山監督は本当にすごい人だなって思う。

そういう意味で、私は人を信じることができるようになっただろうか。