生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家二年目~

感受性と五感を磨く

 おはようございます。今朝のフルーツは紅まどんなと西の香。味だけでいえば、圧倒的に西の香の方が美味しい。糖度も高いし、濃厚だし、果汁が多い。でも、紅まどんなにはゼリー食感という特徴がある。そしてなにより、知名度の高さという、美味しさとは関係ないけれど、多くの人の「美味しさ」に直結している特徴がある。

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 自分が思う美味しさと、大衆論としての美味しさは全く別物である、ということを、2020年の冬は思い知ることになった。同じような品種にデコポンがある。

 確か杉村太蔵だったと思うが(違ってたらごめんなさい)、格付け番付みたいな番組で「僕の美味しいはお値段通りです」といってるのを聞いて、なるほどなあと思ったことがある。高いものが美味しい。そういう価値観があっても全然いい。むしろ、値段という分かりやすい数値で美味しいが決まるなら便利だ。

 美味しいの基準なんて個人の好みだ。だから自由にすりゃいいとは思っている。でも美味しさを伝えたいと思った時、より正しく伝えたいと思うと迷ったり悩んだりすることがある。

 煽るだけの文章や文句なら、適当に書いたって何とかなるだろう。でも、それを見て購入した人が「思ってたんと違う!!」となるかもしれないと思うと、私はどこまでも正直に伝えようと思ってしまうのだ。

 少し前の記事でこんなことを書いた。

感受性が落ちぶれていると分からない類の死生観、宇宙観、倫理観が、クリエイターの想像する「世界」を感じるのに必要なんじゃないかな。

cimacox.hatenablog.com

 インターネットが手軽になって、なんでもググれば分かるようになった。でも、美味しさや感動は個人差が大きい。どれだけ口コミが良くても、自分に合わないことはある。誰にでもそういう経験はあるだろう。

 きっとそこで思うだろう。

「口コミは当てになんねえな」

 そう、その通りなのだ。だって口コミを投稿している誰かはあなたではないから。あなたの感覚と違っていて当たり前なのだ。

 こんなことは結構前から言われているが、「情報があふれる時代になったからこそ、一層重要になるのが自分の感覚」だということだ。

 で、引用の通りよ。自分の感受性や五感(五感は後付けだけど)に自信がないと、それが面白いのか面白くないのか、それが好きか嫌いか、それが美味しいか美味しくないか、それすらも分からないのだ。分からないから、口コミや人の判断をあてにしてしまい、時には信じてしまい、だけどやっぱり自分の好みとは違うわけだから、「なんか違うんだよな」と違和感を持ったまま、抱えなくてもいいストレスを抱えて生きることになるのだと思う(言い過ぎか)。

 多くの人は「多数の正義」に簡単に負けてしまう。それは群れる生き物が持つべき、生き残るための本能だ。だからそういう感覚もすごく大事なのだ。そして、多数の意見が本当に自分と合っていればそれが正解なのだと思う。だけど、そうではない場合、ただ流れているだけでは、自分のことなのに、自分が一番分からないということになりかねないのだと思う。

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 で、最初の紅まどんなと西の香ね。私は西の香の方が断然好き。写真はすべて西の香。果形が自由奔放なのも西の香の可愛いところ。

 違っていてもいいのだ。一番きれいな形をしていなくてもいいのだ。自由でいいのだ。私という生き物は、顔のない「大衆」と、違っていてもいいのだと、言いたかったのです。